» HOME  » RSS  » ADMIN

プロフィール

nakayoshi

Author:nakayoshi

最近のコメント

ブロとも申請フォーム

dot1 dot1

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告--.--(--)--:--|コメント(-)|トラックバック(-)|Top↑
dot3 dot5
dot1 dot1

ポストモダン社会での教育 (2)

前々回の続きです。
今回は、
3. 平等状態での両極分解、
4. ポストモダン社会での自己責任、そして、
5. サルコジ内相と暴徒の対立 
です。
*
3.市場化する教育

「自由に学校を選べるようにしましょう」対「みんなで協働してよい地域社会の学校を作りましょう」の対立

アメリカ:新自由主義:教育分野への市場原理の導入
=>一見、消費者の選択を拡大させるかのように見えながら、実質的には選択範囲を狭める結果となるとしている

清水、藤田:「公立地域学校」「通学区制義務教育」の必要性
=>地域社会を拠点とした住民による協働(コラボレーション)が重要、それを通じて人々の総意にたった地域共同の学校が作れる、草の根の民主主義を育てる重要な基盤

=>反面、地域住民によるコラボレーションを成り立たせることが如何に困難で面倒か、いかに時間とエネルギーがかかり、心理的負荷の思い作業なのか、場合によっては新しいタイプの格差を作り出す危険性もある(広田照幸2002:「PTA・地域の教育論再考」)

潮木:地域単位のコラボレーションが困難になった背景はポストモダン社会の登場と、それに伴う人々のライフ・スタイルの変化が関係している。その変化とは、余暇生活の登場、価値多元主義の登場、それと「安定した親」の消滅。

ポストモダン社会では、地域単位のコラボレーションが成立する基盤が、益々脆弱化しているように見える。

4.平等状態での両極分解

地域単位での協働コラボレーションも容易でないのに、その中を社会的分断(=階級的分断)の原因となった縦割り中学教育を、国家的規模で解消する壮大な実験を行ったのがヨーロッパ諸国であった。
例:イギリス、ドイツ

ヨーロッパ諸国は過去50年間かけて、ソフト化し、柔軟にし、個人対応性を高めることに成功した。いまやヨーロッパ諸国は、誰でも高校まで進学できるシステムを作り上げた。

そればかりでなく、大学もまた経済的負担を気にすることなく、進学できるようになった。(イギリスは、そうかな?と思いますが・・・)

ところが、これだけ教育条件を平等化し、生徒の希望に対応できるシステムを作り上げたのに、今度は新たな格差が生じ、社会対立が生じることになった。

5.サルコジ内相と暴徒の対立

2005年11月中旬:フランスの若年失業者、学生によるデモ

サルコジの「社会のくず」「ならずもの」発言

=>彼は、ハンガリーからの移民
「同じ移民出身であっても、きちんとやれば、いくらでも安定した地位を築けるではないか。それをやりもしないで、腹いせに、自動車に火をつけるお前達は社会のくずだ」的心理があったのでは?

1960年代、70年代には、「親の理解がなかったから」「家が貧しかったから」といった言い訳が通用した。

しかし、生徒当人の選択を大幅に受け入れるソフト化した中等教育システムの下では、もはやそうした言い訳は通用しなくなった。

国家・社会は、十分生徒個人の希望に応じる仕組みを用意してある。残る問題は、当人がやる気があるかどうかである。それこそ、文字通り逃げも隠れもできない生徒本人の裸の姿がさらけ出される。

このフランスの事件は、教育機会の平等化に成功したポストモダン社会での両極分解現象、教育システムが完成度を高めれば高めるほど、生徒当人のやる気・能力・意欲が曝け出される「やりきれなさ」「不快感」「反感」を表現しているのではないだろうか。

これは、決して、フランスだけの問題ではない。ポストモダン社会が共通に抱える課題である。
スポンサーサイト
大学06.20(Tue)09:55|コメント(-)|トラックバック(-)|Top↑
dot3 dot5
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。